プロフィール

こんにちは、元うつ病トップ営業マンのレイです。
しれっと始めたブログですが、自己紹介ができておらず、読者の方からしたら「お前誰やねん」ってなってるだろうなと思い、急ぎ、書き殴りました笑

私は1992年6月生まれの28歳のアラサーです。
そんな自分の人生のテーマはな 自我の探究 です!!
下記、自分のこれまでを記載したのでぜひ見てやってください(笑)

無邪気な幼少期

6個上の姉がいてた関係でほぼ一人っ子のように育ちました。
小さい頃から運動、音楽、美術などとにかく興味のあるものに手を出し、好きなことには没頭して時間を費やすタイプでした。

幼少期

自我のない学生期

常にコミュニティの中心にいましたが、常に全体の雰囲気に流されて物事を発言してました。いわゆる八方美人です。とにかく周囲の目を気にする器の小さい男でした。しかも八方美人は本当の自分を見失う入り口に過ぎません。ここからどんどん周りに合わせていき、自分がなくなっていく地獄に陥りました。

進路関係も親が望んだ高学歴の道を進む自我のなさを発揮しました。
大学でやっていたダンスサークルでは、初心者で始めたにもかかわらず、持ち前の八方美人を使い、上層部に気に入られ、気づけば300人を超えるサークルの副幹事長になってました。
我ながらここまで行けた自分を褒めてあげたいです(笑)

ダンス

しかし、長く使っていたこの素敵な特殊能力にも副作用が出始めます。
それは「自分の意見の無さ」です。イベントの会議などでファシリをすると「周りの意見=自分の意見」なので、自分の意見がないために黙り込んでしまうという凄まじいことをしでかしました。
結果会議はまとまらず、自分の不甲斐なさが露呈する結果となりました。周囲の目を気にする自分にとって生きた心地がしませんでした。

また就活期に行った自己分析には膨大な時間を費やし、お尻が4つに割れそうな思いをしながらカフェに籠もった記憶があります(笑)

ブレイクスルーした就活期

そんなお尻が4つに割れて脳が破裂しそうな思いをしていた就活期もある2つの体験で変わりました。

1つ目は「貧乏父さん金持ち父さん」です。
あの本は衝撃的でした。レールの上を世界でいちばん上手く生きてきた自分にはない発想でした。「このままではいけない!!事業家ないしは投資家として生きていかなければいけない!!」と強く思ったのを思い出します。

本

2つ目はいとことの出会いです。
自分にはアメリカ人のいとこが3人います。そんな彼らはそれぞれの夢に向かい、血反吐を吐くような努力をしています。特に末っ子は高校生ながらアプリを開発し、学校に導入をさせたという偉業を成し遂げました。そんな話を聞いて、下からの突き上げがすごいことを思い知り、同時に自分には何もできることがないことを痛感します。

いとこ

そこで「できること」を増やすことができる、若いうちから仕事を任せられる会社に軸を変え、企業を受けまくりました。
そんな「ハングリー精神」というストレート1球種で受けた就活は苦戦はしたものの、やっていてとても楽しかったです。
自分の人生を推し進めている感じがたまらなく気持ちよかったです。

投手

そんなこんなで、この単細胞豪速球投手に内定をくださった素晴らしい会社が何社かあり、事業数の多かった超大手IT企業に進む選択をしました。

イケてる社会人(前半)

意気揚々と超大手IT企業に入り、目の前の仕事を黙々とこなしました。
全てはパーフェクトビジネスマンになるために!!!

その結果、B2Cの営業研修では333人の新卒の中で3位に表彰されました。
しかし、本配属後のB2Bの営業ではそうは行きませんでした。
昔から言われたことを忠実に守ってきた真っ直ぐな男だったので、話の組み立て方を知りませんでした。ヒアリング項目も提案も全部がめちゃくちゃで散々でした。

そんな自分も縁もゆかりもない福岡に栄転した際にブレイクスルーをしました。それは、取引先の会長さんより「主語と述語分かって喋っている?」と言われたことです。骨の髄まで染み込んだ周囲の目を気にするくせが知らず知らずのうちに発動していたのです。この商談に失敗したら、先輩・同期にこう思われるなど、、、
そう考えると目の前に話している人の主語と述語なんて入ってきませんし、ヒアリング、提案なんてもっとです。

さらに私が大好きな島田紳介さんが「世間の目はニキビや、でかいと感じているのは本人だけ」とおっしゃっていて、これで変わりました。

その後は営業組織の中でも上位の成績を常に出し続けました。
その結果、4ヶ月連続日本一の営業成績を出し、会社のMVP部門で優秀賞もいただきました。この功績もあり、課長になったりと順風満帆の社会人生活を送っていました。

順風満帆

メンタル崩壊の社会人(後半)

課長になり、様々なプロジェクトに携わりましたがそのどれも結果を残してきました。しかしあるプロジェクトで以前達成した同人数で当時の5倍以上の目標を行うことになりました。

目標に追いかけられて、寝る時間がない、起きても山のように仕事が残っている。24時半頃まで仕事をして、そこから仮眠を取り3時か4時に起きて、また山積みに残っている仕事を行う、するとまた24時半になってるという生活をしてました。

この頃は自分は何のために働いているのか疑問に思っていました。興味のない仕事に自分のリソースを費やすことに生きている意義を見出せませんでした。「俺の人生好きにやらせてよ」と福岡で芽生えた自我がそう語ってました。
それでも追いかけてくる目標。もちろん未達の場合はこっぴどく怒られました。そんな生活を続けていると体から拒絶反応がおきます。
吐き気・嘔吐・頭痛そして睡眠障害。一瞬死を考えましたが、「自分の人生、1回も自分の思うように生きてない!!」という思いが湧き上がりました。思い返せば周囲の目を気にした学生時代を送り、できることを身につけるためにこの会社に時間を割いてきました。

そう思ったらすぐに動いてました。翌日には部長と副部長に大号泣しながら思いの丈を喋り、休職に至りました。
ボロボロの自分、よくいった!!本当にありがとう!!!

うつ

うつになって

うつになってとにかく辛かったのは寝れないこと。
何しても寝れない。薬を飲んで目をつぶっても寝れない。そんな、夜が怖い日々を送ってました。

しかし、数週間ほどこの生活を続けている、逆に起きているうちにやりたいことをやりろうと思いがふつふつと沸き上がってきました。そう思ったら即やりたいことをノートに書き殴り、次の日から実行してました。

夜ドライブ、平日ゴルフ、朝から海鮮食べる、日の出を見にいくなどなど大学生の時より遊んでました。気づいたら寝る時間が4時→3時→2時とどんどん短くなり、1ヶ月を経った頃には12時寝れるようになっていました。

余暇

独立

自分の人生のオーナーは自分!やりたい時にやりたいことをやる人生を歩みたい!
そう考えたら、独立という選択肢しかありませんでした。

ただ仕事がないです。
自分は昔のツテとイエンタというマッチングアプリでとりあえず人脈を増やしまくりました。

そんな中で自分でもできそうなものを昔の営業スキルを駆使しでスケールさせていき、生活できるようになりました。

今は下記事業をやっております。

  • MEOの代理店営業
  • HP制作のディレクション
  • 動画編集チーム運営
  • 火災保険申請サポート
  • 補助金申請のサポート
  • 物販スクールのアンバサダー

とにかく今できることは何かそれを模索した結果が今につながってます。
大切なのは小さな声に耳を傾けること。
ここでいう小さな声は真の自分です。

私は周囲に合わせる中で、これを完全に見失ってました。
かなり遠回りはしましたがようやく自分らしく生きることができました。これからも自分の声に耳を傾け、周りに流されず自分らしく生きていきます!